ラッドについて書いた記事が結構伸びている。
嬉しい〜〜〜〜
好きなものについて色々と考えて言葉にするのはもちろん楽しいことだけれど、逆ものにも意外と楽しみは控えていたりする。
そもそも私は自分が好きなものがなぜ魅力的なのかを言語化する行為が好きだ。
完全に自分のための行為でもあるが、要は自分の"好み"の形を確かめていく行為に等しい。
つまりそれは「好きじゃないかもな」と思ったものでもできる行為なのだ。
なぜ好きじゃないかも、という感触を持っていたのか、そして実際触れて「やっぱり好きじゃないじゃん」となった時、予想とどういった一致不一致があったのか。
また触れてみたら「結構好きかも」となることもある。
それがまた楽しい。なぜ好きになれたはずのものを初見では「好きじゃないかも」と思うことができたのか?
それを邪魔していたのは偏見なのか、自身の価値観の変化前だったからなのか、色々なパターンがある。
そういった「なんか好き」「なんか嫌い」という便利な箱から、丁寧に自分の中にあるものを整理していくと、その行為こそが自分の塑像を作っていくな快楽が生まれたりする。
逆に言えば、どれだけたくさんの作品を見たり読んだりして、それを整理しても、自分が作り出せるのは自分自身の等身大の塑像でしかなかったりもする。
ネットで言われる"教養"なんてまやかしで、そこにあるのは自分が自分のために作ったブサイクな粘土の塊でしかないのかもしれない。
映画や本は教養の為に観るんじゃなくて、面白いから観るんだよ。
— その他 (@etc_524) 2024年8月22日
教養あってえらいってお前が教養嫌いだったからそうなってんだよ。
映画は面白いから観んの!
ちゃんと本読んでるから偉いとかいう考えがダメなんだよ。
良薬口に苦し的な文脈で本読んだ方が良いですよって上からマウントすんなボケ。 pic.twitter.com/xW8T6wyGem
まあそんなに怒らなくても、という事ばかり。
でも本人にとっては怒らないと済まない一個手前の感情があるんだよね、と思う事ばかり。