今日はK原くんと散歩をする日。
朝起きて妻を見送る。
朝ご飯に鶏のスープの残りを食べきってしまう。
食器を洗ったり、本を読んだりする。書き送れている日記を追いかけるように書ききる。
ブログ更新自体のラグがあっても、基本毎日書き続けられている。
昼過ぎにK原くんから連絡が来る。用事が終わったので、五条の方まで来てくれるようだ。
彼は以前からyugeによく展示を見に来てくれていた作家で、数回会場で話したことはあれどしっかりと話すのは今回が初めてだ。
すこし歩きながら又聞きしていた彼の近況について話す。差し出し合うように私も近況を話す。
祇園にあるマルヤマコーヒーに入り、冷たいコーヒーを飲む。今日は一枚羽織っているだけでわりと暑い。本格的に春になってきた。
版画の領域についてと彫刻の領域について話す。
版画の再現性は環境的な再生装置につよく依存するため、いつまで制作に持続性があるのかびくびくしているという話が面白い。木や石を鉄で削り取るようなプリミティブな手法で制作している畑からしたら、とても信じられない悩みだ。
店を出て河川敷沿いに北に歩いて行く。
途中白い花の前でK原くんの写真を撮る。ふたりとも名前は知らなかったが、毎年春になるとこの鴨川沿いに咲いている花。
ふたりとも名前は調べないまま、その花の前で彼の写真を取った。
歩きながら、言語でのアウトプットや、言語外のアウトプットは自身にどういった効果をもたらしているのかについて話す。制作もまたひとつの言語として内的言語を翻訳する手法にすぎないのかもしれないという話をする。
気付けば出町柳を超え、北大路を超え、北山までたどり着いていた。
河川敷から上がり、すこし西に入って喫茶店に入る。すこしごはんを食べながら、また話す。
会話上でのやりとりがいかに曖昧で出鱈目で帳尻合わせばかりのものなのかという話をする。
会話のほとんどを占める要素は基本的に“保留”であり、その時間の浪費を共有すること自体が意味を持つことも多い。情報共有以外のノイズにまみれた変な行為だ。
K原くんとは感覚的な共感だけでなく、言語化の感触がわりと近いところがあるようで、ゆっくりながらも会話がどんどんと展開されていくのが心地良い。
物事は記号化され簡略化され、果てにゲームと化していくけれど、いかにそのゲームのリセットが必要かという話をする。
言語の話から発展した話題だったが、美術の様式の話にも通ずる。きっと多くの文化や道具に当てはめることが出来るだろう。
喫茶店をでて南に下っていく。
トレーディングカードの高騰と、絵画の普遍的な価値について話す。
パックの中身がブラックボックスの状態では250円のポケモンカードも、蓋を開けることで一枚4万円のカードにもなり得る。新品のPCやスニーカーは開封したり使用することで価値がどんどん下がる。
カードパックは未開封の方が価値が低く、スニーカーは未開封の方が価値が高い。
絵画は開封しても未開封でも価値が変わらない。
ある種、煩雑さは価値を抑制するともいえるのではないだろうか。
夕方になり、解散するか迷ったがもう少しだけ話したかったので、最後にもう一軒喫茶店に寄ることにする。
yugeについて話す。K原くんも何か手伝えることがあればと答えてくれた。今後どうやって行こうとしているかなどをゆっくり話していく。彼がいたら心強いと思う。
また現メンバーと話をしてから今度話をまたしようと約束をする。
K原くんと解散し、バスに乗って家に帰る。
家に着いたら豆腐ハンバーグを作る。
完成する前に妻が帰ってきた。間に合わず、悔しい。
すこしだけ完成を待って貰い、いっしょに晩ご飯を食べる。
花粉症の症状なのか、薬の副作用のせいかか、喉が渇く。
風呂に入って、日記を書く。
今日もたくさん話してたくさん歩いた。早めに寝て明日はゆっくりする。
今日はここまで。