その他諸々

その他の走り書き。

マジョリティとマイノリティ。私とおまえ。

目を覚ます。部屋干しをしたおかげか空気があまり乾いていない気がする。
先週風邪を引いてからまだすこし痰が絡む日が続いていたけれど、今日は少し快適。
昨日はたくさんのおでんをつくったので、それを温めて朝ご飯にする。
おでんを作るために沢山の練り物をかったけれど、肝心の大根を買い忘れていたので、練り物だらけのおでんになってしまった。
今日は大根を買って帰っておでんに足そうと思う。
天気は良いのだけれど、この時期になると窓から朝日が差し込む時間が短くなってしまったせいか、あまりすっきり起きれない。
洗い物をして、ちょっとのんびりすごす。
ベランダに出てみるとむちゃくちゃ寒い。
昨日は割と日が暖かかった気がするのだけれど、なんでこんなに急に気温が下がるのか。
部屋にもどって上着を着る。
明後日にはゲームの『カービィのエアライダー』が発売される。
告知映像や、体験プレイの実況動画などを眺めながらわくわくする。
今日はこの寒さだと散歩をしたり鴨川でギターを弾いたりするのは厳しいなと判断する。
せめて暖かい格好をして喫茶店まで行く。
先日読み終わった『哲学以後の芸術とその後』の影響でコンテンポラリーアートについての本が読みたくなる。
鞄に『コンテンポラリー・ファインアート 同時代としての美術』を詰め込んで喫茶店まで行く。
序盤をゆっくり読んでいたら友人が喫茶店にくる。
本を閉じて話し始める。
SNS越しの友人関係について話す。
狭い窓越しのコミュニケーションは互いに自身の理想化をかなえながらパフォーマンス的なコミュニケーションをするので、真の理解にはとどかないのではないかという話をする。
けれども、同時に対面でのコミュニケーションでも同様の事が起きている気もする。
付き合い前に一緒に山登りをしろ、付き合ったら結婚の前に同性をしてみろ、という言葉を聞いたことがあるけれど、ほんなら結婚したら何をしたらいいのだろうか?
きっと結婚したら何もしなくて良い。
何もしなくていい人を見つけたら結婚したら良いのだと思う。
また、(現代における)サブカルチャーとは何かという話をする。
マジョリティが手にするのがカルチャーだとして、マイノリティが手にしていたものがサブカルだとざっくり定義されているものの、そんな相対的で曖昧な尺度で現在もアニメや漫画がずっとサブカル扱いされている事への違和感はある。
人はどこにいても、マジョリティの安心感とマイノリティの満足感を両方とも求めてしまう。
せっかく手にしたマイノリティも、どこかに帰属するとあっというまに“そのコミュニティ内でのマジョリティ”になってしまうことも多々ある。
だから人はその内でのマジョリティを抜け出すために、知識や理論武装でさらなる深化を果たして再び自身のマイノリティ化を目指すのかも知れない。
そういった、文化に対する見栄や畏れが文化を文化たらしめている可能性すらある。
本来は個人個人が“個人”というマイノリティであることは間違いないのにもかかわらず、私達はどこかに帰属することでマイノリティというラベルを手に入れようとしてしまう。
なんて虚しいことだろうか。けれどもどうにも仕方ないことのようにも思える。
わたしたちは単なるわたしたちではなく、私とおまえとおまえとおまえである。
何かに頼ることなく、私が私だと思える日、おまえがおまえと思える日はいつかくるのだろうか。
そして同時に、何かに頼ることで、私とおまえが“わたしたち”になることが出来ることも尊く思うのだ。