先日、神田伯山の講談を見に行った。
神田伯山と言えばいまや売れっ子の講談師でテレビなどの大手マスメディアでもちらちらと目にするほどだが、私にとって神田伯山(知った当時は襲名前で神田松之丞だった)は、“爆笑問題太田とラジオ上でプロレスを繰り返す人”であり、“伊集院光とラジオ上のやりとりで(わりとマジの)喧嘩をした人”であった。
落語は年に一回は必ず聴きに行く週間があるので、馴染みが深かったのだけれど講談はさっぱりだったので結構身構えながら会場に向かった。
劇場で友人と合流する。
母校の大学施設として大型の劇場があり、そこでは本格的な演劇やミュージカルをはじめ、落語や歌舞伎、そしてこうやって講談の公演が頻繁に行われている。
開演時間が始まるまで少し時間が合ったので、大学内のギャラリーでの展示を見る。
後輩作家のUくんがちょうど作品展示をしていた。
ちらっと顔も会わせたので挨拶もする。
開演時間になったので劇場にはいる。
講談はおもっていたよりずっとポップでエンタメだった。(演芸文化なので当然っちゃ当然かも知れないが)
落語はコメディのフィクションだが、講談はどちらかというとドキュメンタリー的な(実話を元にしたノンフィクション寄りの)フィクションである。
伯山は今年の映画『国宝』のヒットから、役者の話を2席披露してくれた。
どちらも熱く、苦しく、粋でかっこいい芸の世界を描いたものだった。
落語の会話劇的な心地よさとはまた違う、語り部分のリズムの良さや、歴史や文化に関する補足的な語り自体の面白さが流れるように入ってくるかと思えば、ピンと張った緊張感で劇場を静まり返して見せたりする。
その緩急にそれぞれ圧倒されている間に2時間ちょっとがあっというまに終わっていった。
大学近くの王将で夕飯を食べながら友人と感動を分かち合う。
その足で少し歩いたところにある銭湯に向かって一風呂浴びる。
講談を一緒に見に行って、同じ解像度で感動を共有できる友人がいることもとても嬉しい。
私の帰宅は見事に遅くなり、帰宅後不機嫌に私の帰りをまつ妻をなだめる羽目になるのだった。
妻は可愛らしくフゴフゴと不機嫌をくすぶらせているのだけれど、漫画に書いたらくちゃくちゃの線が吹き出しに書かれそうな、そんなちょっとコミカルな不機嫌でなんだか可愛い。わたしはついへらへらしてしまってさらに怒らせてしまう。ごめんね。
そして後日、半年ぶりくらいに髪を切った。
割と伸びてしまっていたのだけれど、私は一時期胸くらいまで髪を伸ばしていたので、ちょっと伸びたくらいでは「伸びたな」という意識があまり湧かない。
妻に言われて思い出したかのように髪を切りに行く。
妻とは同じ美容院に通っているので、同日に予約をし、髪を切り終わったら一緒にご飯を食べて帰る。
美容院の近くのベトナム料理屋さんに入る。
最近は妻は会社でご飯を食べてくる日も多かったので、平日に一緒に晩ご飯を食べられるのが嬉しい。
フォーと混ぜご飯を注文して一緒に食べる。
もりもりゴキゲンで食べる妻を観ているのがすきなので、とても楽しい時間。
メインを食べ終わった後にデザートが食べたくなったので、チェーというベトナムのあんみつのような甘味を注文した。
予想以上においしい。
ココナッツミルクに小粒のタピオカとフルーツ、白玉をいれたものだが、これがまたさっぱりしつつ甘くて美味い。
もう一つ追加で注文したりする。
フォーとチェー、また食べたい。
それから平日はまた喫茶店に通って本を読み続けた。
先日読み始めた『彫刻の呼び声』も読み終わり、大変満足する。
彫刻家による彫刻論、批評家による彫刻論を読み終えたので、今度はまた別視点から彫刻を見つめる本を読むことにする。
金井直の『像をうつす』という評論を読む。
彫刻の歴史と並走してきた、“彫刻の写真”を追っていくという一風変わった本だ。
鑑賞方向が定まっている絵画と違い、無限の鑑賞方向を持つ彫刻は、写真で作品記録を残し、それを観るときにどうしても撮影者や撮影環境によって恣意的なものが混ざる。
しかし現物として軽やかに移動することが極めて難しい彫刻は、それを学ぼうとしたときにどうして写真を頼ることにもなる。
その不安定ながら根深い関係性を丁寧に読み解いていく。
これを読み終わったら彫刻の教科書とかを改めて読んでみようか。
喫茶店ですごしていたら、ちょくちょく友人がマルヤマに来てくれて、おしゃべりをすることになる。
先日は作家のSくんが来てくれて、一緒にコーヒーを飲みながらのんびりと過ごしたり、その後お酒を飲みに行ったりした。
彼はフレスコ画を制作している壁画家であり、ペインターではあるものの非常に専門領域が特殊なため、作家同士の領域意識のなかでも孤独を抱えながら活動を続けているようだ。なんて立派だろうか。
yugeで展示をしてくれたこともあり、思い出話をしたり、壁画と彫刻についての話をしたり、結婚によって得られるもの/失うものについて話したりする。
彼はとてもゆっくり穏やかに会話をしてくれるので、こちらも話していると心が落ち着く感じがする。
私は彼の作品はもちろんだが、一友人として彼のことがわりと好きなんだなと気付いた。
そして今日は友人のYさんが喫茶店に来てくれて、すこし一緒に話したりして過ごした。
会うなり「話したいことが何個かあって、」と話し始めてくれて、なんだか嬉しくなる。
今年聞いていた音楽について、先日見に行った講談について、海外ドラマについてなどなんでもない話を展開していく。
話題としては何でもないことばかりだったが、こういうなんでもない諸々を“話したいこと”として意識の片隅にストックしてくれていたんだなと思うと尚更微笑ましい気持ちになる。こういう友人がいることに感謝しなければなと思う。
この年末年始は早めに実家に帰省して1ヶ月ほどゆっくり過ごすとのことで、まさかの今年最速の「良いお年を」を交わすことになった。
いうていてももう冬まっただ中になってしまった。
ここからあっというまに年末年始になってしまうんだよね。怖いね。
妻とそろそろ年末には何を食べて、年始には何を食べるのかを話し合わないといけない。
記憶の中の妻はだいたいゴキゲンで何かをおいしそうに食べている。
おいしい記憶を極力増やしていきながら、彼女がフゴフゴと不機嫌にならずにすむように務めていきたい。